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2012年5月 4日 (金)

悩んでいること

3年生の総合世界史演習(5単位)を始めてみて、いろいろ悩み多い。
とりあえず整理しておこう。

1 『学び合い』であれば、「一人も見捨てない」ことが大切だけど、「一人も見捨てない」ことと「大学受験に必要な学力をつける」が両立しないように思われること。

まず、第一に、クラス全員が大学受験をするわけじゃない。私としてはセンターで7割~8割を全員がとれるようになってほしいけど・・・クラスの半分以上は、そんなこと目指してないよねぇ。

次に、進度。模擬試験があることを考えると、できる限り全範囲をはやくカバーしたい。でも、それは「歴史的な思考力」をきたえたり、「自分で納得するまで調べ」たりすることと両立しない。

先史時代→オリエント文明→古代ギリシアと(結構むりやり)進んできて、小テストをやるも、クラスの半分が全然できない。

このままローマ行っちゃっていいのか?
このやり方でいいのか?

で、試しに私が「講義」してみたけど、クラスの半分は寝ちゃうんだな、これが。
私の講義の仕方が悪い、という反省の仕方もあるし
クラスの残り半分は「おもしろーい」って聞いてくれる、って考えてもいいけど、

そこで、「私はこの講座を通して、どんな力を育てようとしているのか」に立ち戻る訳なのだわ。

2 とにかく、基礎学力が弱い。
教科書にはなんでもかんでも説明してあるわけではないから、こんなところで! ていうところで生徒たちはひっかかってしまう。いちいち立ち止まっていていいのか? でも、問題をスルーしていたら、いつまでたっても解決しないのでは? でも、とにかく先へ進むべきなのでは?

などなど、悩みつきないわー。

2012年4月22日 (日)

『学び合い』が、やっと、なんとか、腑に落ちつつある

『学び合い』の考え方にふれて 2年。

実際に一斉授業、インプット中心の授業をやめて1年半。

昨年度は、2年生の世界史Aで 共同学習、ノートまとめを中心に
「学ぶ力」をつけることを 最大の目標として取り組んできた。

今年度は、その2年生の中から、世界史を選択してくれた生徒たち
69人に、ほぼ毎日世界史の講座を展開している。

その日のテーマを提示

<先週の例> オリエントの統一
1 アッシリア帝国の特徴を知る。 
2 四国分立時代の4国のそれぞれの特徴を知る。 
3 アケメネス朝ペルシアの特徴を知る。

インプット: 基本資料「要点チェックノート」のまとめを見て、教科書、資料集、用語集で確認。

脳内の情報整理: 解決しなかった疑問について質問。
            集めた情報をノートに再構築。

アウトプット:確認小テスト。質疑応答(アッシリアとペルシアの統治方針の違いは何か、など)

これが基本的な流れ。
そこに、歴史的なおもしろさを色づけする。

でも、これは1つの方法にしか過ぎない。

大事なことは、もっと別のところにあるような気がする。

もう少しすれば、見えるように思えるんだが。

三女が乱入して、これ以上書いてられないや。
もうちょっと、よく考えなくちゃ。

復活なるか、てへっ

1年以上ぶりに ブログに帰ってまいりました。

なんといっても2011年3月11日以降、疾風怒濤の毎日で、ほぼTwitterでつぶやくだけの日々でした。

そのうち、Facebook なるものにも手を出し、懐かしい人々との交流が始まっています。

ブログはもういらないかも、とも思ったのですが

自分の試行錯誤を 「まじめに」 振り返るジャーナルとして
やはりブログを「書く」必要がある、というのが結論です。

誰の役にも立ちませんけどねw
でも、自分の役に立つからいいや。

2011年1月30日 (日)

本当の師走

もう年度末だ。
2月、3月は 高校入試Ⅰ期、Ⅱ期があるし、後期期末考査があって、授業や部活が細切れ状態。
来週はいよいよⅠ期入試だ。
入試は2日間だけど、前後に準備と判定が入る。
その間、授業はカット。

問題は来年度の時間割作成。
カリキュラムの大改革があって、単位数などがめちゃくちゃになり
いままでの作成ノウハウがどこまで使えるのかわからない。
今までマクロを動かしてくれていた先生は、いなくなっちゃったし。
さらに、いきなり学年の教室配当を変えるだと!
それってつまり、講座の教室配当も大幅変更ってことじゃん。
はぁー、予測がつきません。
完成する気がしない。

閑話休題、
定期考査まであと2時間しかない「現代社会」
中間考査が終わってから「労働問題」と「社会保障制度」しか終われない。
期末考査後に「公害と環境問題」

じっくりと調べたり、議論したいテーマばかり。
まず、現状に興味をもつこと。疑問を持つこと。調べること。
話し合うこと。さらに疑問をもつこと。言葉にすること。

なんでじっくりと取り組む時間がないのだろうか。
本当にこんなにさらっとで、何かを学んだことになるのかーーーー
と思いながらも、踏みとどまることができない。

もっと時間ください。せめて週3時間、欲しいよーーーーー。

2011年1月 3日 (月)

学校でしかできないこと

機会があると、本屋で世界史の参考書をのぞいているんだけど、
最近の参考書にはCDやDVDがついてるものがあるんだねー。

MP3に落としてどこでも聴ける、世界史要点・・・・
予備校の授業が家で、電車の中で、聴けちゃうんだよ!
もし、授業と参考書の違いが、耳からはいる情報と、文字からはいる情報の違いだけだったとすると、もう、決まった時間に決まった場所で授業を受けている必要もない世の中なのかも・・・
だって、必要な情報はインターネットやCDやDVDで、好きなときに好きなスタイルで集めることができるんだもんね。

『神野の世界史劇場』なんか、授業で生徒に見せたいくらい、面白い。

ま、そりゃ、録音より生の方が緊張感があっていいのかもしれないけど、でも、ライヴだってつまんないものはつまんないし。双方向じゃない授業だって、いっぱいあるし。

つまり、学校の授業は、そういうことでは手に入らない情報や経験を提供しなくちゃなんないだろうって思うんだよね。今やそういう時代なんだろうってこと。

予備校が出しているCDを眺めながら、愕然とそんなことを考えた。

でも、高校の授業を変えるのはほんとに難しい。
いわゆる「授業進度」とか「受験対策」とか「模試」とか
テストの点数をあげたいだけなら、それこそ予備校のCDと同じ「効率的で、わかりやすく、ポイントを絞った」授業をしなきゃならない。

まぁ、いまのところあんなCDよりは面白い授業ができそうだけど、聴くだけ見るだけ、っていう点では五十歩百歩なんだよなぁ。
そのうちCDに負けるようになって、「みんな、私の授業聴くよりCD聴いた方がいいよ」ってことになったりして。

そうじゃない、そうじゃない。
わざわざ学校で一つの教室に数十人が集まって勉強する、絶対的なメリットがあるはず。
そのメリットをいままであまり重視してこなかったけど、これからはそれが中心にならないと学校教育の意味がない、と思う。

一斉授業で効率的に大人数を教育、なんて、もう時代遅れなんだい。

で、『学校でこそできることとは、なんだろうか』(里見実・著/太郎次郎社エディタス)を読んでみた。感想は次回で。たぶん。

«明けましておめでとうございます。

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